名うての女剣豪です☆シクヨロ!と挨拶して場の空気が固まったのを昨日のことのよう に思い出す。そんな始まりだったのでクソの付くほど真面目な石田は当初私のことがとても嫌いだった。彼と私の間の友情はひとえに私の努力の賜物である。懐柔策を練りに練り、野良猫を餌付けるようにして徐々に石田との距離を縮めたのだった。私は生来日和見の事なかれ主義なので、嫌われているのなら近づかなければいいだろうと思っていたのだが、上司の半兵衛さんが各武将とはできるだけ仲良くして結束を固めるよう煩かったので仕方が無い。新参者を警戒し、監視する意味でもあったのだろう。面倒ではあったが間者ではないかなどと疑われるよりはいくらかマシなので、これも仕事と思い私はたいそう頑張った。しかしいざやってみるとそれは、存外容易かった。言ってしまえば赤子を捻るより容易だった。石田光成は一度穴を開ければあっけないほど簡単に他人を懐に入れる。そして一度入れた相手を疑うことができない。私は石田の好物である秀吉様の作る世界万歳という餌を与えて順調に石田と仲良くした。そのようにして彼は盲目的に私を信用するようになったのである。人の言葉を額面どおりにしか受け取れない、気の毒なぐらい純粋な男であった。しかも非常に残念なことに彼には人を見る目が全くなかった。純粋で疑うことを知らず、相手を選ぶことすらできない。これほど可哀想な男が他にいようか。キリシタンの神とやらがもしも本当に人間を創造しているのだとすれば、なんと因果なものを生み出したのだろう。秀吉さまやら、半兵衛さんやら、私やら、大谷やら、ろくでなしとしかいいようのない、信じる価値も無いだろうクズばかりを彼は信じていた。悲運にもほどがある。

勿論良い人間を信頼した場合も無いとは言わない。徳川のことだ。今となっては信じ難いが、彼らは嘗て中々上等の友情を築き合っていたのである。徳川はさんざっぱら苦労したであろう半生の苦 い記憶をものともせず、まっすぐな志を持つ、自立した人間に育っていた。石田と違って人を見る 目があったからかもしれない。幾多の武将の元で幼年期を過ごしたにも関らず、彼が心の師と仰い だのは傍に居たことも無い武田信玄公であった。まったく出来る子だ。できすぎだ。私には多少理 想的過ぎるように思えてついていけない面もあったが、まあとにかく悪いやつではない。少なくと も徳川は人を殺して生きようとは思っていなかった。人と一緒に生きようと努力していた。そうい う人間はこのご時世には意外と少ないのである。個人的に私は徳川のような夢想家はあまり好かないけれど、一定の敬意を払っておこうとは思う。

しかしその、石田の数少ない友の中で唯一といってもいい、誠実で優しく善良であった人間が、いの一番に彼を裏切ったのだから、石田の運の無さたるや。笑えるほどである。

私は降り注ぐように飛んでくる斬撃の数々を一振りで全て弾き飛ばし、地面を蹴って飛び上がった。残念ながら石田光成は私に勝てるほど強くない。振り降ろした白刃が石田の肩口を斬りつける。呻き声がする。あまり深くまで入らないように刀を引き、倒れかけた石田の腹を蹴っ飛ばした。川で石を投げて跳ねさせる遊びのように石田は二度地面をバウンドして転がった。しかしまだ起き上がろうとする。私は面倒になって、間合いを詰めて痙攣する身体を蹴り上げ、宙に浮いたそれに必殺技をかけてやった。死んだらまずいなあとちらりと思ったけれど、私には人を甚振る趣味はないのだ。小技でさんざ苦しめて生かすぐらいなら大技かけて一思いに終らせたかった。 轟音と唸るような悲鳴が荒野に響く。血反吐を吐いて吹き飛んだ石田はそれでも、幸いなことにまだ生きていた。彼にとってはもしかしたら、死んだほうがよかっ たのかもしれないが。彼は刀を握ったまま這い蹲って暫く執念深く地面を掻いていたけれど、やが てその気力もなくなったのか、手から力が抜けた。刀の柄が指を離れる。カシャンと小さな金属音がしたとき、ちょうど私の手の上に、ぽつりと一滴雨が垂れた。夏も盛りだというのに空はどん よりと暗く、水気を孕んだ
濃灰色の雲はさながら膨れた死体の様に我々の頭上に跨ってはっきりと不吉 な様相を呈している。まったく誂たような場面設定だなと私はひとりごちる。徳川と本田の飛び去った方向の空には雲が途切れて青が光っており、それがまた一層現状に似つかわしく、悲劇的で あった。

「何故だ」

私が空を仰いで暫し呆然としていると、未だ地面に寝転んでいる石田がかすれた声を零した。秀吉様の作る世は素晴らしいと言ったではないか。その強大な力を秀吉様のために使うと言ったではないか。哀れなことに彼は私の嘘をまだ信じているのだ。勿論私は秀吉様の天下統一をお手伝いする ために雇われたので、石田の言うとおり、この強大な力を尽くして彼を補佐するつもりだった。しかし所詮。所詮傭兵である。私 はお給料以上の働きはしないのだ。更に言えば傭兵に思想なんて高尚なものはない。秀吉様の作る 世界が素晴らしいかどうかなんて今も昔も私にはさっぱりわからなかった。ただひとつだけ言える ことは、誰が覇者であろうと下々の人間の暮らしはそう変わらないということだけだ。つまるところ私の暮らしにとっては、自分の居場所が誰の元にあろうとたいした問題がないのである。

「どうしてお前が家康につくのだ」

私はこの哀れな、嘗て友人であった男に向かって、贖罪と同情を込めて薄く苦笑を漏らした。そして彼の求める答えを掲げる。

「お給金。」

徳川より石田のほうが好きだったんだけど、こればっかりはねえ。私が頬に手を当てて溜息を吐く とその傍を石が飛んできた。立ち上がる気力も無い彼がせめてもの抵抗で投げたのである。凶王と呼ばれる男が投石とは、しかも目標に当たらないとは、なんたる惨めさだろうか。私は心の底から彼を気の毒に思ったが、哀しいかな、私が彼にしてあげられることはもう何もないのであった。ここで殺してやることすら今の私には許されない。何故なら雇い主が石田を殺してはいけないと私に固く言い含めているからだ。私はごめんねとひとこと詫びて鞘に刀を収める。踵を返す直前に見た石田の目には果ての無い憎悪が浮かんでいる。





(裏切り日和)




 

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